公と私

私的な話を公的な土台で話されても… って感じだよねー。そもそも互いの前提とするものが違うわけだから。そんな感じで種々の誤解はおこっちゃうんだろーな。歳を重ねるにつれ、公に染まっていくもんだとは思うけれどね。俺はまだ「私」の方が全然強いし。


誤解もほっておくとどんどん歪んでいきますから。個々に哲学ってのはあるんでしょうけれども、メジャリティな考え方から見れば、それはマイノリティなわけですよ。拘りすぎると孤独になっていくってことですね。そんな人は大抵「自分にとって都合の良い人ばかりが周囲に居れば良いんだよ」とか言いますが、そもそも貴方のために存在している他人なんて居ませんから。結局それも、突き詰めていったら周囲に誰も居なくなるよなぁ。


中学生の頃ですかね、所謂思春期の頃ですが。周りの例に漏れず俺は反抗期で、世の中のメジャリティや建前主義が大嫌いでしたね。今もそんなに好きじゃないですが。本音で語れる人や我道に進むことに憧れたし、それを実行している人は尊敬しますね。ただ、それを自分で実行出来るか、出来ているか、ってなると、先の哲学ってのは我道であり、同じ結末になるだろう、もしくはそうなるのが怖いので、なかなか出来ませんね。


微妙に話が二転三転してきてるような気がするんでこの辺でやめておこう…。


俺の日記って、書きたいことがあって書くってより、発端を見つけて、そこからダラダラと派生したことを書いてくスタイルだから、論述としては最低レベルだなー。